はじめに
憧れの国として語られたり、貧しい後進国と批判されたりしているブータンですが、私は2011年にツアー旅行しました。東日本大震災の翌日に、出発しました。住んでいた名古屋でも大きく長く揺れました。テレビニュースでも大きく取り上げられ、震源地は東北であることが分かりましたが、詳細は不明でした。被害をまとめる役所も報道機関も破壊され、通信網も寸断されていました。
震災の翌日、午後に出発予定でしたので、午前中に旅行社に電話しましたが、ツアーは予定通り行われるとの返事でした。当時、ブータンツアーを扱っている旅行社は2つしかありませんでした。両方とも秘境ツアーに特化した小さな旅行会社で、本社は東京にあり、支店は大阪にありました。
手配されていたバンコクのトラジット専用のホテルが集合場所でした。私は長男と行きましたが、中部国際航空からは私たち以外の客はいませんでした。
ブータンの北半分はヒマラヤに位置し、山岳地帯です。国教はチベット仏教であり、インドの属国のような立場にあり、伝統を重んじています。建物も制限され、民族衣装の着用が推奨されています。農業が盛んですが、その生産性には西岡氏が関与しており、彼は国王と直接意見を交わす立場にありました。ブータンでは非常に有名で尊敬されています。
国民の教育水準は高く、僧院などで使われていたゾンカ語が公用語ですが、ほとんどの人が英語を話します。論争好きな国民です。
国会で、国王が罷免出来ることは憲法で保障されており、議員は普通選挙で選ばれます。チベット系住民が8割を占め、彼らの顔立ちは大和民族に似ています。その他はネパール系住民で、インド人に似ています。
民族衣装は、男性用がゴ、女性用がキラです。いずれも正式には絹製で、自然繭から作られ、非常に高価ですが、最近は化繊も多いようです。和服に似ており、昔の日本を思わせる風俗が各所に見られ、大和民族とのルーツは同じであろうと思われました。
祭りに、ダショウ(貴族)であると思われる人が来ていましたが、威厳があり、服装も非常に高価そうでした。
国王
現在の国王はジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクさんです。アメリカやイギリスへ留学しています。2006年に父親から、国王を譲られています。2011年に日本に来ていて、ニュースでも大きく取り上げられました。
ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク - Wikipedia
ブータン風景
ブータンは天空の国家です。首都ティンブーの標高は2300mほどです。ブータンの名所タクサン僧院は3120mです。北側にあるヒマラヤは大きな山容で、日本の山岳とは異なります。また、霊山ですので、登山のためには政府の許可が必要です。
産業
主に農業が中心で、西岡恭治さんが改革を主導し、国王をはじめ、国民からも慕われていました。他には絹織物や製紙も行われています。和紙に似たブータン紙を作っていました。そのほか、水力発電もしていますが、ダムで大型の発電機を使うのではなく、川で小型の発電機を使用しています。電力はインドにも輸出しています。
また、アーチェリーも盛んであちこちでやっていました。
ブータン料理
仏教国ですので動物性の料理は乳および、チーズを加工した料理で、動物を殺す事はしません。唐辛子や、山椒が香辛料として使われます。稲作は盛んで、ほかにそばも採れます。モッツレラチーズに唐辛子を混ぜた料理エマダツィは常時食べます。他には、そばを加工した料理などです。
私たち旅行者者はカレー料理と中華料理がほとんどでした。
エマダツィ
ヒマラヤ
自然環境への配慮
自然環境への配慮は徹底しています。ホテルの風呂はお湯がバスタブ1杯分貯蔵してあり、そこから入れます。貯蔵してある分を超えれば後は、水のままです。それは高級ホテルでも同じようです。また、ツアーでドツォ(ブータン流の風呂)に入りましたが、観光客用で自然への負荷が大きいため、現地の人はあまり利用しないようです。
水をお湯にするのは非常に贅沢のことで、日本でも昔はサウナ式の風呂が普通だったようです。
さいごに
ブータンに行って、私たちが消費文明に漬かっている事を痛感しました。自分の価値観を見直し立脚点を確認してから、ブータンを見てはいけないと思いました。
妻問婚であったり、夜這いの習慣が残っていたり、性器崇拝があったりと、日本文化の源流を感じました。私たちの価値観は西欧文明に基づいており、その根底にはカトリックやプロテスタントなどのキリスト教が影響しているように思います。それらを取り除くことはできませんが、自覚することは可能です。
最後にアンケートがあり、国民の格差などの項目がありました。国民の幸福度の参考にしているのでしょう。ブータンの僧侶で一番高位なのはダルマ・ラージャです。ダライ・ラマと同じチベット仏教ですが、宗派は異なります。通訳はダライ・ラマを尊敬する存在だと言っていました。