パラダイム

あるパラダイムを意識する

見えない世界:「フランケンシュタインの誘惑」

           はじめに

私たちの身のまわりにある空気や水、そして私たち自身の体を形づくる細胞――
それらすべては「原子」という極小の単位からできています。つまり、私たちが行きうる温度であれば電子が陽子の周りにある原子を形成します。

けれども、原子は単独で存在するのではありません。
二つの原子があれば、引き合い、ぶつかり、軌道を変え、影響を及ぼし合います。
無数のこうした相互作用が、やがて分子をつくり、細胞となり、生命や環境、社会を形づくっていきます。

この「相互作用のつながり」こそが、世界を成り立たせているもの――
それをここでは「システム=関係性」と呼びます。

私たちの呼吸、感情、社会、地球環境までもが、この見えない関係性の上に成り立っていますが、関係性(システム)は、目には見えません。
それゆえに、しばしば私たちはその存在を忘れてしまいます。

人と人では愛憎となります。これは生きている意味や男女間の関係にもあり、忘れまん。

私たちは、世界を分けてみることで理解しようとします。その方が理解し易いためですが、時々便宜的に分けたことを忘れます。
細胞膜の内と外、生物と環境、人間と社会……など、分けている事は沢山ありますが、それらは決して切り離された存在ではありません。
あくまで“見やすくするために分けている”にすぎないのです。

生命は、その象徴的な存在です。
人間は、植物や微生物、気候や動物など、無数の存在とのつながりの中で生きています。
地球温暖化や異常気象は、私たちの行動が生態系全体に波及している証です。
つまり、私たちは常に「関係性」の中にあるのです。

NHKの番組『フランケンシュタインの誘惑』では、生命を“部品の集まり”として捉える危うさが描かれていました。小説『フランケンシュタイン』が警告したように、「つながり」を見失うと、私たちは重大な誤りを犯す可能性があります。

そして今、AIや遺伝子編集などの先端技術は、改めて私たちに問いかけています。

「私たちは、見えるものだけを信じていないか?」
「目に見えないつながりや関係性を、どう理解していくのか?」

このブログでは、「システム=関係性」という視点から、
科学と人間、そして未来について、一緒に考えていきたいと思います。

フランケンシュタイン - Wikipedia

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 - Wikipedia

                           序論:見えるものと見えないもの

私たちは目で世界を見ていますが、見ているものは本当に「事実」なのでしょうか?

実は、私たちの脳は、視覚情報を過去の経験や文化の影響を受けながら再構成しています。つまり、「見る」という行為そのものが、主観に強く影響されているのです。

だからこそ、「客観的に見る」ことはとても難しく、多くの前提を共有して初めて「これが現実だ」と合意することができます。

物質の最小単位は素粒子であり、現在の地球の温度環境では、これらが集まって原子をつくり、さらに複雑な物質へとつながっています。

そして、生命は単なる物質の集まりではありません。
「関係性」――それが、生命を支える見えない力なのです。

細胞の部品を集めれば生命ができる、というわけではありません。
生命は、物質同士の関係性と、情報のやり取りが絶えず続くことで成立しています。

化学反応の積み重ねだけでは、生命は生まれないのです。

                 『フランケンシュタインの誘惑

フランケンシュタイン』の物語は、生命を誤解した結果の悲劇を描いています。
単なる「部品の寄せ集め」では、命をつくり出すことはできませんでした。

現実の科学史でも、似たような誤解は繰り返されてきました。

どれも「見えるもの」だけに注目し、「見えない関係性」を無視したことによる問題でした。

    現代科学への示唆:AI・遺伝子編集・生命倫理

今、私たちはAIで兵器を自動化していますし、遺伝子を操作しようとしています。

でも、本当にAIに「知性」が宿るのでしょうか?
遺伝子を操作することで、予期せぬ影響を広げてしまわないでしょうか?

科学技術が進むとき、「何ができるか」だけでなく、「何をすべきか」を問う視点がますます大切になっています。

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          見えないものを理解すること

科学とは、本来「目に見えるもの」を扱う学問です。観察や再現性を通じて世界を理解しようとするその営みは、私たちに多くの恩恵をもたらしてきました。

しかし――生命の本質は、「見えない関係性」の中にこそ存在するのではないでしょうか。
たとえば、親子や友人、社会とのつながり、あるいは文化や信念、これらは数値で測ることも、視覚でとらえることもできませんが、私たちの生き方を大きく左右します。

Social capital - Wikipedia

複雑な生命を理解し、倫理的な判断力を持つこと。
それこそが、これからの科学とどう向き合うかを考えるための出発点になるはずです。

最近では、「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」を目指すライフスタイルが注目され、富や自由を追い求める動画やサイトの再生回数が伸びています。
しかし、果たして――
私たちは何のために生きているのでしょうか?

物質的な豊かさだけでは測れない、人生の価値。
それを見つめ直すことが、齢を重ねた者の役割なのかもしれません。

        マネージメント

 

ドラッカーの集大成ともいえる著書『マネジメント』は、どこまで著者自身が意識していたかは定かではありませんが、「system=マネジメント」という視点に焦点を当てた書といえます。

けれども、私たちはつい「見えるもの」ばかりに注目しがちです。目に見える成果や数字でマネジメントを評価しようとするあまり、その背後にある関係性や仕組み――つまり「見えないシステム」としてのマネジメントを見失ってしまいます。

「働く」という言葉一つとっても、そこにはマネジメントという見えない要素が含まれているはずです。しかし多くの場合、それは無視され、個々の労働や成果のみが注目されます。

また、利益は現場の従業員が日々の努力によって生み出しているにもかかわらず、その成果を指標に、高額な報酬を得るマネージャー層が生まれます。もちろんマネジメントは重要で責任の重い役割ですし、平均の数倍の報酬を受けることに一定の合理性はあるでしょう。

しかし、あまりにも高額な報酬は、実質的に下請け企業や現場の従業員を安く使って成り立っている構造を覆い隠してしまいます。マネジメントもまた「働く」形態の一つであり、そこにあるべきバランスが見失われているのです。

          さいごに

「見えないもの」とは、人間の想像力によって生まれた世界なのでしょうか。
宗教、哲学、そして現代メディアに至るまで、「見えないもの」は人類文化の根幹を成してきました。しかし、科学の発展とともに、私たちはシステム──つまり仕組みや背景にある構造──への理解を深めるどころか、かえって「見えないもの」への感受性を失っているように感じます。

かつて人々は、「霊」や「魂」、あるいは「神」といった概念を通じて、世界との整合性を保とうとしました。それはアニミズムから始まった宗教の原型でもありました。

しかし現代では、目に見えるもの、証明できるものだけが価値あるものとされ、見えないものに心を向けることが軽視される風潮があります。
それはまるで「科学という新しい宗教」の時代に生きているようです。
私たちは今、見えるものしか信じないことを「理性的」と呼び、見えないものを「非科学的」として切り捨ててはいないでしょうか。

本当に大切なものは、目に見えるとは限らない──そんな素朴な感覚を、私たちはどこかに置き忘れてきたのかもしれません。

アニミズム - Wikipedia