はじめに
近年の日本経済をめぐる議論では、「積極財政」「円安」「物価高」「国債」といった言葉が、日常的に使われるようになりました。これらはしばしば別々の問題として語られますが、実際には一本の糸でつながっています。
資金需要に対して通貨供給が過剰になれば、通貨の価値は下がります。その結果としてインフレが起き、物価は上昇します。経済は感情を持ちません。正直で、帳尻は必ず合わされます。
インフレ率とは、言い換えれば通貨価値の逆数です。インフレが進めば、すでに発行されている国債の実質的な価値は下がります。一方で、私たちの生活では、食料品やエネルギー価格の上昇として、その影響を直接感じることになります。
ステルス税としての物価上昇
物価が上がれば、既発国債の実質価値は下がります。それは償還時の価値を維持するために倫理が上奏させるためです。市場金利が上昇しても似た理屈から、既発国債の市場価格も下落します。
インフレ地味はこれらの効果から、国債を発行した政府側から見れば、実質的な返済負担は軽くなります。これが、インフレが「ステルス税」と呼ばれる理由です。
名目上は返済条件を変えていません。しかし、返すお金そのものの価値が下がっているのです。
本当の税と違って国会審議はありません。誰かに請求書が届くこともありません。それでも、負担は確実に、どこかへ移転しています。
インフレターゲット2%とは
インフレターゲット2%という数字は、理論から導かれた必然ではありません。
過去、経済が比較的うまく回っていた時期に、結果として観測された水準、いわば経験則です。
この程度のインフレ率で安定していれば、
という状態が成立します。
つまり、
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国家財政は表向き健全に見え
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家計は強い違和感を覚えず
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ステルス税も「静かに」機能する
この微妙な均衡点が、2%前後だったという経験則です。
国債の保有者という決定的な違い
ここで重要なのは、「誰が国債を持っているのか」です。
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海外投資家
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民間金融機関
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民間企業や富裕層
であれば、インフレによる価値下落の負担は、主としてその保有者が負います。
しかし、保有主体が、
といった政府セクター自身であった場合、話はまったく変わります。
政府が損をするという現実
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その機関のバランスシートは悪化し
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将来の補填は、税金か国債で行われる
ことになりますが、実際の税金を上げれば政権の支持を失います。そこで、使われるのがインフレ率を上げて、国債の実質価格を下げ、インフレ率により税収を上げる方法です。スーパーの価格が平均10%上がれば価格の10%と定められている消費税も上がります。
つまり、ステルス税を払うのは「市場」ではなく、「国内の国民」という構図に変わります。
国債価格の下落分は、いったん政府内部で損失として吸収され、最終的には、別の形で国民に転嫁されます。
適度なインフレは確かに国家財政を助けます。
しかしそれは、
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誰が国債を持っているのか
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賃金がどの程度追いつくのか
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インフレが制御可能な範囲か
という条件がそろっている場合に限られます。
その均衡を超えた瞬間、
ステルス税は「静かな調整」ではなく、家計を直撃する負担に変わります。
国債は「国の借金」
国債とは、国が発行する借用証書です。
会計的にも法的にも、明確に「国の借金」です。
「国は返せると思われている限り、いくらでも国債は発行できる」といった説明を見かけますが、黒田日銀時代の金融政策を振り返れば、現実はもっと露骨でした。
異次元の金融緩和によって、日銀は事実上、無制限に国債を買い続けました。
市場の信認ではなく、中央銀行の買い支えによって、金利と価格が維持されていたのです。
借金をすれば、当面の資金繰りは楽になります。
これは家庭でも国でも同じです。
違いは、返済が滞ったとき、国はお札を刷れるという点だけです。

国債は返さなくていいのか
重要なのは、
「返さなくていい」のではなく
「返し方が違う」
という点です。
国は、
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税として直接集める代わりに
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通貨価値の低下という形で
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国民全体に薄く広く負担させる
ことができます。
督促状は来ません。
その代わり、スーパーで買える量が減ります。
円安・物価高=ステルス税
円安と物価高は、典型的なステルス税です。
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法律改正は不要
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税率引き上げも不要
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国会も荒れない
それでも、
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輸入物価は上がり
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生活必需品が値上がりし
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実質所得は減る
税の本質である
「強制的・回避困難・広範囲」
という性質を、すべて満たしています。
「国の借金は国民の財産」という言葉
「国の借金は国民の財産」という表現は、意図的に単純化されています。正確には、「民間の資産」であって、「国民の財産」ではありません。
国債は偏在しています。政府支出も、多くは企業に支払われ、賃金として回るとは限りません。しかし、国民がステルス税を含めて、税で返済します。負担は広く、薄く家計へ降りてきます。
国はほとんどを事業費として民間企業に支払います。支払われた費用=経費+利益です。経費には
- オフィス・拠点に関する経費
- 通信・事務に関する経費
- 従業員に関する経費
- その他の重要な経費
があります。私たちが「国民の利益」と考える支払われる費用のほんの一部です。それを「国民の財産」と言うのは、印象操作に近いものです。
積極財政の正体
結局、積極財政とは、物価上昇を通じて、国債や既存の負担を実質的に軽くする戦略
です。劇薬は効けば前に進みます。しかし、用量を誤れば副作用に苦しむことになります。
問題を指摘できない経済評論家
その理由は彼らが置けれている立場があるからです。構造的な問題ですので、三層構造として説明します。
① 政策正当化が崩れる
「物価高=ステルス税」と明言した瞬間、
という解釈が成立します。これは「景気対策」という建前を壊します。
② 金融機関・年金・保険が沈黙を好む
インフレは
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債権者(預金者・保険加入者・年金基金)に不利
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債務者(政府・企業)に有利
この非対称性を強調すると、
「では誰が損をしているのか?」
という問いから逃げられません。答えはあまりに露骨です。
③ 国民感情に火をつける
「増税ではないが、実質的に負担は増えている」
この説明は、政治的に最も扱いにくい。消費税より反発が大きくなる可能性すらあります。そのため、評論では次のような言葉の緩衝材が多用されます。
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「痛みを伴う調整」
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「一時的な物価上昇」
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「賃上げが追いつけば問題ない」
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「海外要因が主因」
どれも事実の一部ではありますが、徴収構造には触れません。税であることを言わずに、税と同じ効果だけを受け取らせる――これが完成形です。
本来はこう説明すべきです。
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現在の物価高は
→ 過去の金融緩和・財政拡張の後払い -
負担しているのは
→ 現金・預金・定額所得層 -
得をしているのは
→ 債務者・資産保有者・政府
単刀直入で厳しい論理に世論は反発し、楽な理論に傾きます。

おわりに
国債は借金です。お金がたれなければ、紙幣を刷ればいいので、破綻はしません。
実際に税から支払うより、国債を発行したほうが楽です。そこで、物価を上昇させ、すでに発行しているん国債の価値を下げます。インフレ率と税収は相関します。ステルス税になるわけです。
政権も「物価高」が国民生活を厳しくしている事は解っていて、「物価高」対策として一部の人に助成金を支給したり、ガソリン税を調整して輸送費が上がり過ぎないようにしていたポーズを取っています。しかし、物価高をステルス税としているので、本質的な修正はしません。厳しい事を避ようとするので、不思議な政策になります。政権が支持を失った時には日本経済が破局に陥っているのではと心配です。
