考え方

あるの視点から

第2次世界大戦の影響と歴史の流れ

はじめに

第2次世界大戦は、人類史上最も悲惨な戦争であり、その意味や影響は非常に深く 多岐にわたります。ドイツ・イタリア・日本の枢軸国陣営が三国同盟を結び、アメリカ・イギリス・フランス・中国・ソ連などの連合国(国際連盟の主な国々)と戦いました。この戦争は、その後の世界のパラダイムに大きく関わっています。現代に生きる私たちとも直接関わってきますので、ブログにまとめて、歴史の流れを掴もうと思います。

第2次世界大戦

第2次世界大戦は、1939年から1945年にかけて世界規模で展開された大規模な戦争です。その原因は様々ですが、主に以下の要因が挙げられます。

  • ドイツでは、第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって多大な賠償金が課せられ、領土制限もされました。このことがドイツ国民の不満を募らせ、ナチス党の台頭を招きました。
  • イタリアではムッソリーニ政権が成立し、独裁的なファシズム政権が確立されました。各国で民族主義が激化し、領土拡大や民族自決を求める動きが強まりました。
  • 日本は第1次世界大戦では戦勝国側にいましたが、この頃、石油を燃料にしたエンジンが普及しだし、我が国はその石油をアメリカに依存していました。乱高下する原油価格もあり、飛行機・船舶。戦車・車など原料が原油である物が普及し、経済活動を支えました。首根っこをアメリカに抑えられた日本は、石油などの鉱物資源を求めてフィリピン、ボルネオ、南アジアに進出しようとしました。当時、これらの地域はヨーロッパやアメリカの植民地であり、それらの国々と戦ったのがアジア地区における第2次世界大戦=太平洋戦争です。

日本がこのような状況に追い詰められた背景には、1929年の世界恐慌がありました。世界恐慌は経済を混乱させ、社会不安を引き起こしていました。

二・二六事件 - Wikipedia

日独伊は利害関係で結びついていましたが、国際連盟の主な国々は民主主義や人権(自由、平等、博愛)を掲げていました。大きな歴史の流れに逆らう形で、日独伊は行動していたように思います。

ナチスゲルマン民族ムッソリーニはイタリア人、日本は大和民族を掲げており、共通する理念は希薄でした。

 

経過

ドイツのポーランド侵攻をきっかけに、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告しました。その後、ドイツはヨーロッパ各国を次々と占領し、ソ連にも侵攻しました。

日本はアメリカ、イギリス、オランダなどに対して奇襲攻撃を行い、太平洋地域で大規模な戦闘が展開されました。スターリングラードの戦いとミッドウェー海戦などが転機となり、連合国が優勢となりました。

イタリアが1943年9月に1945年4月にドイツが、1945年8月に日本が降伏して第2次世界大戦は終結しました。

結果

第2次世界大戦の結果として、多大な犠牲が生じました。軍事力だけでなく、民間人を含む数千万人が犠牲になりました。各国の経済は壊滅的な打撃を受け、復興には長い年月を要しました。従来の国際秩序は崩壊し、新たな国際秩序が構築されました。戦争によってレーダーや原子力など多くの技術が発展しました。戦後、アメリカとソ連が対立し、冷戦時代が始まりました。

日本における影響

 

理念と植民地支配とは相いれないもので、民族自立としての独立を容認する事となりました。その途中に傀儡政権を作り、独立に見せかけて、実際は支配をしました、それが朝鮮戦争ベトナム戦争などです。フィジーでは今年、先住民の暴動が興りました。アフリカの紛争などもこの延長線にあります。

第2次世界大戦の影響として、敗戦した日本は、アメリカを中心とする連合国の占領下に置かれました。独立を回復したのは1952年4月28日で、この日にサンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)が発効しました。現在の日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。この憲法より、軍隊の保有を放棄しました。

日本はドル経済圏に入り、経済復興を遂げました。また、家族制度や教育制度など、社会構造が大きく変化しました。さらに、自民党が政権党となり、これに反対する社会党共産党が存在する「55年体制」が構築されました。

戦後の思い出

私は1951年生まれですので、団塊の世代とは言えなくもないものの、少し遅れた世代かもしれません。食べ物がない時代は記憶にはありまっせんが、貧しく 戦争の傷跡が残っていた時代は知っています。1950年台の子どもたちは冬の時期には多くが、鼻水を垂らしており、肘やひざには補修の縫い跡がありました。袖口は拭いた鼻水が乾き、光っていました。繁華街には白衣を着て、どこかが不自由な傷痍軍人が寄付の箱を抱えていました。

その後、日本は経済復興を遂げ、ビートルズなどが青春時代を彩りました。バブル経済の時代には社会人を過ごし、定期預金の金利が6%程度ありました。しかし、その後の長い不況により、預金金利がほとんどない時代になっています。

さいごに

日本の敗戦は軍部が作戦を間違ったことが原因ではありません。大きな価値観の変化が影響していると思います。たとえ第二次世界大戦に勝っていたとしても、次に訪れる戦争に敗北していたでしょう。今私たちが享受している価値観は第2次世界大戦に敗北したから生まれました。憲法で、不戦国家としたことで、何も新しい価値を生み出さない軍事費を縮小できたからです。軍事費が大きし、海外援助として出費し、公共事業を維持する事が必要なのかを考える必要があると思います。YouTubeなどには「アバタも笑窪」的な記事が多く見受けられます。日本の良い所を取り出して評価することは、著者や読者にとって心地よいかもしれませんが、それだけでは日本経済が良くなるわけではありません。検証された資料をもとに、多角的に評価することが重要です。

戦争の芽は摘んでおかねばならないと感じ、このブログで第二次世界大戦を総観しました。