パラダイム

あるパラダイムを意識する

婚姻の変遷と社会の寛容性

はじめに

 

現在は性に対して寛容な社会である一方、報道規制は厳しいです。また、婚姻には様々な形態があります。現在のような婚姻形態が いつ できたのか、そして社会に受け入れられた要因について調べてみました。

婚姻

源氏物語を参照すると、 平安中期までの貴族では妻問婚が一般的でした。妻問婚なので、財産などは女性が受け継いでいただろうと思います。この頃の日本の人口は700万人ほどで、貴族数は200人から1200人と研究者によりばらついています。北海道や沖縄を日本に含めるのかなど、日本の範囲 で人口が変わることもその一因かもしれません。貴族と言っても官位は正1位~少初位下までありますが、正5位以下では官職に余りつけなかったようで、官職についた人のみを貴族として数えたのかもしれません。以前は天皇は多くの側室を持っていて、天皇の子供は貴族になりましたが、非常に多いのでなかなか官職に付けませんでした。

官職につかなければ収入はないので、上級貴族に勤め護衛や雑用を行っていました。こうした人が、武士の源流になったようです。清和源氏と言い、頼朝の先祖は清和天皇です。また、平清盛桓武天皇が祖先です。

官位

国境がない時代であるため、周辺地域でもさまざまな結婚様式が存在しましたし、日本人としてのアイデンティティーができた時期も はっきりしません。「日本人」の概念は人為的であると思います。

戦前までは本妻以外に女性を養うことは経済的に余裕のある男の当然のことでした。天皇や藩主の重要な役割は、後継ぎを作る事でした。その為にも何人もの側室を持ちました。一夫一婦制ではない為、庶民でもそうでした。この風潮は戦後も残りました。一夫一婦制が定着したのは50年ほど前からです。

長子相続

現代は、子の相続権は平等ですが、戦前は長男の相続権が優先されました。

戦前の民法によるものですが、その前提として、多くの藩で農民に対して土地分割を禁じていたからでしょう。理由は、農家が零細化する事や、年貢の徴収が面倒になる事でした。戦国時代以前にはこういった事はなかったようです。

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明治政府は、これまでの伝統を色々いじりました。ですから、

民間では、地域によって風習が異なっており、『お国』という言葉が故郷を指すなど、日本という国が国家として一般的に認識されるようになったのは、明治政府からだと思います。それまでは、国と言う概念は知識人の概念であったのではと思います。

約10年前に私はブータンを訪れましたが、ブータン人は典型的な日本人に似ていると感じました。30代後半のブータン人の通訳は、誤って彼の彼女ではなく、彼女の母親のもとに夜這いしたことがあると恥ずかしそうに話していました。それから推測すると、ブータンでは2000年頃にはまだ夜這いという風習が存在していたのでしょう。今も残っている かも知れません。また、民家の壁には男性器・女性器を描いた絵が大きく書かれていました。それは豊穣の象徴だったのでしょう。

男根信仰は日本にもあり今でもご神体が男根である所は各地に残っています。

 

 

家制度

 

時々、この人は家制度の視点で物事を捉えるていると思うことがあります。しかし、現代は遺伝子の時代です。私たちが生まれるためには父と母が必要です。計算するとわかりますが、1200年の推定人口の何倍にもなるほどの祖先が必要です。すべての生物は根源的に同じであり、万系一世です。UFOがやってきて新しい遺伝子を残したのでしょうか。米国の福音派は今でも「人は神によって創造された」と信じており、進化論は嘘だと主張しています。アメリカでは、過半数の人が進化論を受け入れるようになったのは21世紀に入ってからです。また州によっては進化論の教育は禁じられています。

エジプト

 

名古屋大学の教授でありエジプト考古学者の河江氏がエジプト神話を解説しています。その解説は非常に興味深いものです。

河江氏は、エジプトにおいても男根が豊穣の象徴として神話の中で統合されていった可能性があるのではないかと指摘しています。

正史は文献の検証ですが、残っている文献は支配者の歴史で、自分に都合のいいように書いてあります。

さいごに

明治政府によって作られた伝統が多く、それらは古くからある伝統とは大きく違います。また、時代や地域でも違います。今の感覚でそれを見ている事を認識し、その頃の人はどうであったのかを想像する必要があると思います。。