考え方

あるの視点から

異文化の接触:アンデス文明とヨーロッパの征服

はじめに

アメリカ大陸を「発見した」コロンブスの評価が一変し、多くの先住民を虐殺した人とされているそうです。私の世代は英雄としてコロンブスを習っていますので隔世です。

500年後に大悪人となったコロンブス 【奴隷貿易の生みの親、原住民を大量虐殺】 - 草の実堂

南アメリカをスペイン人が征服する以前、そこには高度な文明を持つ人々が住んでいました。

では、なぜ彼らは少数のスペイン人に征服されたのでしょうか?その理由の一つとして、先住民が青銅の武器を使っていたのに対し、スペイン人は鉄の剣や鉄の鎧を装備し、さらに鉄砲を使用していたことが挙げられます。

鉄の鎧に対しては青銅の武器は全く歯が立ちませんでした。また、鉄砲と弓矢では、飛距離も破壊力も全く異なります。鉄文化を知らない先住民には脅威だったでしょう。西洋人が神に見えたかも知れません。

 

南アメリカ

南アメリカ - Wikipedia

 

アンデス文明

アンデス文明は、南アメリカアンデス山脈地域に存在した古代文明の総称です。これらの文明は、数千年にわたって続き、多くの高度な社会構造、技術、文化を発展させました。主要なアンデス文明には、次のようなものがあります:

1. チャビン文化(紀元前900年頃紀元前200年頃)
  ペルー北部に存在した文明で、宗教と芸術が特に発達していました。チャビン・デ・ワンタルという宗教センターが有名です。

2. ナスカ文化(紀元前200年頃紀元600年頃)
  ペルー南部の海岸地域に存在し、地上絵(ナスカの地上絵)で知られています。

私たちが文字としている書かれていたり、掘れられている記号とは違いますが、これらは記録するもので、文字の一種でしょう。私たちの価値観はユーラシア大陸的です。また、アフリカとは細いながら陸続きですし、地中海は少し航海できれば簡単に渡れます。しかし、南北アメリカ大陸に渡るのは難しい航海技術と経験が要ります。さらに南米との文明の交換はなかったと思います。私たちは欧米の価値観で考えている事を感じます。

3. モチェ文化(紀元1世紀頃紀元700年頃)
  ペルー北部の海岸地域に存在し、灌漑技術と精巧なセラミックスで有名です。

4. ティワナク文化(紀元300年頃紀元1000年頃)
  ボリビアのティティカカ湖近くに存在し、高度な建築技術を持ち、巨石建造物を築きました。

5. ワリ文化(紀元600年頃紀元1100年頃)
  ペルー中央部の山岳地帯に存在し、広範な行政システムと道路網を発展させました。

6. インカ帝国(紀元1438年1533年)
  アンデス山脈全域を支配し、首都クスコを中心に強大な帝国を築きました。高度な農業技術、道路網、行政システムを持ち、マチュピチュなどの遺跡で知られています。

これらの文明は、互いに影響を与え合いながら発展し、それぞれ独自の特徴と貢献を持っています。アンデス文明は、アメリカ大陸の古代文明の中でも特に重要な存在です。

アンデス文明 - Wikipedia

マチュ・ピチュ - Wikipedia

 

インカ帝国

インカ帝国(タワンティンスウユ)は、南アメリカアンデス山脈全域を支配した巨大な帝国で、特に現在のペルー、エクアドルボリビア、アルゼンチン、チリ、コロンビアの一部を含む広大な地域を支配していました。インカ帝国は、その高度な社会構造、行政システム、インフラストラクチャー、および文化的な発展で知られています。

歴史

インカ帝国は1438年にパチャクテク・インカ・ユパンキ(Pachacuti Inca Yupanqui)によって創立されました。彼はクスコを中心に帝国を拡大し、組織化しました。インカ帝国は、1533年にスペインのコンキスタドールフランシスコ・ピサロによって征服されるまで、約100年にわたって繁栄しました。

 

政治と行政


インカ帝国は、タワンティンスウユ(Tawantinsuyu)と呼ばれ、これは「四つの州」という意味です。帝国は、次の四つの地方に分かれていました:
1. チンチャイスウユ(Chinchaysuyu) - 北西部
2. アンティスウユ(Antisuyu) - 東部(アマゾン地域)
3. コヤスウユ(Qullasuyu) - 南部
4. クンティスウユ(Kuntisuyu) - 南西部

これらの地方は、各地方の総督(アプ)によって管理され、首都クスコのサパ・インカに報告していました。

社会構造


インカ帝国は、厳格な階層構造を持ち、皇帝(サパ・インカ)が絶対的な権力を持っていました。貴族、役人、農民、職人など、各層が特定の役割を持ち、社会が効率的に機能するようにしていました。

経済

インカ帝国の経済は、主に農業に基づいていました。高度な灌漑システムと段々畑(アンダネス)を用いて、山岳地帯での農業生産を最大化しました。主要な作物には、ジャガイモ、トウモロコシ、キヌアなどがあります。また、リャマやアルパカを飼育し、輸送や衣類の材料として利用しました。

インフラ

インカ帝国は、優れた道路網(カパック・ニャン)を構築しました。これにより、帝国内の移動と通信が効率的に行われました。主要な都市や要塞は、石造りの技術を駆使して建設され、地震にも耐えうる頑丈な構造を持っていました。

文化

インカの文化は、芸術、音楽、宗教において豊かで多様でした。太陽神インティを中心とした多神教を信仰し、様々な宗教儀式を行っていました。織物、金細工、陶器などの工芸品も非常に発達していました。

重要な遺跡

 マチュ・ピチュ: インカ帝国の最も有名な遺跡の一つで、山の頂上に位置し、その神秘的な美しさで世界的に知られています。
サクサイワマン: クスコの近くにある巨大な石造りの要塞。
オリャンタイタンボ: 重要な考古学的遺跡で、インカの都市と要塞の遺跡があります。

インカ帝国は、その高度な技術と組織力、文化的な遺産によって、南アメリカの歴史と文化に深い影響を与え続けています。

インカ帝国 - Wikipedia

 

パタゴニア

南アメリカ大陸の南部に位置する広大な地域で、主にアルゼンチンとチリの二国にまたがっています。北はコロラド川とビオビオ川、南はフエゴ島ドレーク海峡に囲まれたこの地域は、独特の自然景観と多様な生態系を持っています。

パタゴニア - Wikipedia

さいごに

欧米以外の地域には、それぞれの地域の価値観がありました。しかし、それらはヨーロッパの人々によって征服されました。それは、ヨーロッパの人々が鉄を中心とした武器や鉄砲・大砲を持っていたからです。青銅器などでは鉄を貫通できません。また、鉄砲・大砲と弓の力の差は圧倒的です。鉄と火薬が歴史に与えた影響は非常に大きいと思います。そして、私たちの持つ価値観が西欧(白人)的であることを確認すべきだと思います。