考え方

あるの視点から

庶民にとっての明治維新

はじめに

江戸時代から明治時代への転換は、明治維新として戦国時代の日本統一とともにドラマ化されており、多くの本も出版されています。しかし、具体的な行政には中央や地方の役人も必要です。そういった人々はどのように選ばれたのでしょうか。また、彼らが帝国憲法の下でどのような役割を果たしたのでしょうか。一般庶民は明治維新をどう見ていたのでしょうか。

江戸時代の武士の位

江戸時代の武士の位は、大きく分けて 身分 と 官職 の2種類があり、ました。

 

身分

身分は、武士の家柄や所領の広さによって決まりました。以下に、主な身分と特徴をまとめます。

  • 将軍:江戸幕府の最高権力者。徳川家のみが就任できた。
  • 大名:1万石以上の領地を持つ。藩主と呼ばれる。
  • 旗本:将軍直属の家臣。石高は1万石未満。
  • 御家人:幕府に仕える中・下級武士。石高は1万石未満。
  • 郷士:旗本・御家人の下に位置する武士。石高は100石未満。
  • 足軽郷士よりも下の身分の武士。俸給ではなく、日雇い賃金で雇用された。


官職

官職は、幕府や藩で役職を務める武士に与えられました。官職によって、俸給や役職の重要性が決まりました。以下に、主な官職と特徴をまとめます。

  • 征夷大将軍:将軍が任命される最高位の官職。
  • 老中:将軍に次ぐ権力者。5人から7人で構成され、幕政を主宰した。
  • 若年寄:老中を補佐する役職。
  • 奉行:行政・司法・財政などを担当する役職。
  • 城代:京都や江戸などの主要都市に置かれた城の城主。

なお、身分と官職は必ずしも一致するわけではありませんでした。例えば、旗本の中でも高石高の家柄であれば、老中などの重要な官職に就くこともありました。

その他

  • 家中:同じ主君に仕える武士の集団。
  • 家格:家柄の格式。石高や官職によって決まった。
  • 知行:武士が与えられた領地からの収入。石高で表された。
    江戸時代の武士の位は、複雑で多様性に富んでいたと言えるでしょう。

農民の位

江戸時代の日本では、農民は主に土地を所有する「本百姓」と、土地を借りて生活する「水飲み百姓」に分けられました。本百姓は年貢を納める義務があり、5人組など共同責任とされていましたが、村の自治を担う役職(庄屋、年寄、百姓代など)に就くこともありました。

特に裕福な農民は「豪農」と呼ばれ、多くの土地を所有し、農業だけでなく酒造、織物、陶器製造などの工業や山林業などで財を成しました。これらの豪農の中には、藩に対して金銭を貸し付けることで影響力を持ち、武士階級に許されていた名字帯刀を許される者もいました。豪農は地方の経済や社会に大きな影響を及ぼし、その存在は江戸時代の村社会において重要なものでした。

庄屋 - Wikipedia

郷士

藩により、地位が異なるものに郷士がいました。郷士は、農民と武士の中間的存在であり、下級武士の一種とも考えられていました。実際に貧しい人も多かったですが、資産家も少なくありませんでした。こうした資産家の中には、文化人のパトロンとなった人も多く、明治維新を裏で支えていました。坂本龍馬はそういった一人でした。

例えば、俳人松尾芭蕉などは郷士豪農を弟子に持ち、彼らから宿を提供されたり、金銭を得て旅費としていました。豊かな郷士など資産家の存在は、地方の文化や政治において重要な役割を果たし、彼らの支援が文化人の活動を支える大きな力となっていました。

郷士 - Wikipedia

封建制から帝国制

江戸時代から明治時代への移行は、単に政権が江戸幕府から明治政府に移っただけでなく、社会全体にわたる大きな制度的変化を伴いました。この変化の中で、武士、商人、農民といった各階層が果たした役割も大きく変わりました。

武士は戦士であり、戦功に応じて土地や金品を与えられる存在でした。しかし、江戸時代は戦争が少なく、新たに得られる金品はありませんでした。従って、下級武士ともなると公務員のような役割を担うことになりました。ただし、武士は権力者であったため、その仕事量は多くなく、城での勤務時間も少なく手分けして仕事を行いました。一方、商業や農業は大いに発展し、両替商などの豪商や、村々に存在した豪農が地域経済を支えました。織物や酒造り、林業といった産業も盛んに行われ、商業と農業の発展が地域の経済基盤を支えました。

このように、江戸時代の社会は、武力による権力と豪商や豪農による財力との権力の二重構造を持っていました。ヨーロッパでは貴族や王族がどちらも掌握しており、工業の発展とともに資本家=ブルジョワジーが生まれ、市民社会が作られていきました。そして、市民革命により、フランスでは王族や貴族がいなくなりましたが、その他の国でも王侯貴族は権力を無くしていきました。

日本では、商家に勤めるにも工場の従業員にも「読み書きそろばん」は必要とされ、藩の改易によって浪人が増えた結果、彼らの一部は寺子屋を設立し、教育に尽力しました。これにより、国民の教育水準が向上しました。

明治時代に入ると、この高い教育水準と二重権力構造が新政府の形成と発展に非常に役立ちました。特に、渋沢栄一のような人物がその基盤の上で活動することで、明治時代の経済発展が促進されました。江戸時代から明治時代への移行は、社会の構造と人々の役割が大きく変化した時代であり、その変化は日本の近代化において重要な意味を持ちます。

内閣

国家の近代化が行われ、内閣が権力を握りました。歴代の首相について列挙します。

権力の移り変わりがよく解ります。

内閣総理大臣

  就任 出身
明治時代 (1868年 - 1912年)  
1 伊藤博文 1885年12月22日 長州
2 黑田清隆 1888年4月30日- 薩摩
三條實美 1889年10月25日 公家
3 山縣有朋 1889年12月24日 長州
4 松方正義 1891年5月6日- 薩摩
5 伊藤博文 1892年8月8日- 長州
黑田清隆 (1896年8月31日 薩摩
6 松方正義 1896年9月18日- 薩摩
7 伊藤博文 1898年1月12日- 長州
8 大隈重信 1898年6月30日- 佐賀
9 山縣有朋 1898年11月8日- 長州
10 伊藤博文 1900年10月19日 長州
西園寺公望 1901年5月10日- 公家
11 桂太郎 1901年6月2日- 長州
12 西園寺公望 1906年1月7日- 公家
13 桂太郎 1908年7月14日- 長州
14 西園寺公 1911年8月30日- 公家
大正時代 (1912年 - 1926年)  
15 桂太郎 1912年12月21日 長州
16 山本權兵 1913年2月20日- 薩摩・海軍
17 大隈重信 1914年4月16日- 佐賀
18 寺内正毅 1916年10月9日- 陸軍
19 原敬 1918年9月29日- 盛岡
内田康哉 1921年11月4日- 熊本藩
20 高橋是清 1921年11月13日 仙台足軽
21 加藤友三郎 1922年6月12日- 広島・海軍
内田康哉 1923年8月24日- 熊本藩
22 山本權兵衛 1923年9月2日- 薩摩・海軍
23 清浦奎吾 1924年1月7日- 熊本の寺
24 加藤高明 1924年6月11日- 尾張下級武士
若槻禮次 1926年1月28日- 松江下級武士
25   1926年1月30日-  
昭和時代 (1926年 - 1989年)  
26 田中義一 1927年4月20日- 陸軍
27 濱口雄幸 1929年7月2日- 官僚
28 若槻禮次 1931年4月14日- 松江下級武士
29 犬養毅 1931年12月13日 吉備庄屋
高橋是清 1932年5月16日- 仙台下級武士
30 齋藤實 1932年5月26日- 海軍
31 岡田啓介 1934年7月8日- 海軍
32 廣田弘毅 1936年3月9日- 外交官
33 林銑十郎 1937年2月2日- 陸軍
34 近衞文麿 1937年6月4日- 公家
35 平沼騏一郎 1939年1月5日- 法学者
36 阿部信行 1939年8月30日- 陸軍
37 米内光政 1940年1月16日- 海軍
38 近衞文麿 1940年7月22日- 公家
39 近衞文麿 1941年7月18日- 公家
40 東條英機 1941年10月18日 陸軍
41 小磯國昭 1944年7月22日- 陸軍
42 鈴木貫太郎 1945年4月7日- 海軍

公務員

江戸幕府は長く平和が続き、旗本や藩士は、兵士から、役人に変わっていきました。したがって、国家公務員の仕事をしていたのは旗本で、地方公務員の仕事は藩士が担っていました。県知事も最初は、その地域の大名が任命されました。兵士や警官には西南戦争で武士の集団が圧倒的に強いこともあり、主に士族が採用されました。戦前、役人や警官が威張っていたのは、こうした背景があります。

官吏 - Wikipedia

都道府県知事 - Wikipedia

藩士の仕事

参勤交代があり、江戸詰めの藩士も必要でした。彼らは江戸藩邸の近くに住み、これが現在の東京の山の手の元となりました。

知事

知藩事として、最初は藩主を指名しました。しかし、明治4年7月に制度が変更され、元藩主は華族となり、知藩事を失職しました。

知藩事 - Wikipedia

 

おわりに

維新は革命ではなくクーデターです。ですから、統治機構の多くは江戸時代のまま残りました。江戸時代から明治時代にかけて価値観の大きな変化はありませんでした。この間に培われた価値観は、現代日本人のものの見方に深く根付いています。それを伝統としました。伝統を継承することは重要ですが、同時に、その変遷を理解し、現代社会に適応した活用方法を考えることも必要不可欠です。

秩序と安定

封建制度下の平和維持に貢献した「秩序と安定」を重視する価値観は、現代社会においても恩恵をもたらします。しかし、過度な従順さや保守性は、変化への対応を遅らせ、イノベーションを阻害する可能性も孕んでいます。

西洋化と日本の統治機構

明治維新における西洋技術・制度の積極的な導入は、日本の近代化を飛躍的に進めました。一方で、日本の統治機構を巧みに利用した側面も見逃せません。伝統と革新のバランスをいかに取っていくのか、その難しさを学ぶことができます。

歴史的背景の理解

現代において、他国と比較したり自国の優位性を主張したりする際には、歴史的背景を理解することが不可欠です。江戸時代から明治時代にかけての価値観を理解することで、現代社会における偏見や誤解を払拭し、より客観的な視点を持つことができます。

相互理解と尊重

国際社会で協調していくためには、異なる文化や価値観を持つ国々との相互理解と尊重が不可欠です。日本独自の価値観を守りつつ、多様性を認め、共に発展していく姿勢こそが求められます。

バランスの取れた視点

江戸時代から明治時代にかけての歴史を振り返ることは、現代日本社会における課題を浮き彫りにし、より良い未来を築くための指針を与えてくれます。過去と現在を理解し、未来を見据えたバランスの取れた視点を持つことが重要です。

まとめ

江戸時代から明治時代にかけて培われた価値観は、現代社会においても様々な示唆を与えてくれます。それは、戦後の高度成長を支えるとともに、現代日本の長期不況と国民が貧しくなったことと関係しているかもしれません。そうした価値観を再考し、現代社会に適応した活用方法を模索することが、より良い未来を築く鍵となるように思います。