はじめに
維新の志士の話はよくされますが、具体的な行政には政府の公務員や地方行政も必要です。そういった人々はどのように選ばれたのでしょうか。また、彼らが帝国憲法の下でどのような役割を果たしたのでしょうか。
封建制から帝国制
江戸時代から明治時代への移行は、単に政権が江戸幕府から明治政府に移っただけでなく、社会全体にわたる大きな制度的変化を伴いました。この変化の中で、武士、商人、農民といった各階層が果たした役割も大きく変わりました。
江戸時代、武士は本来戦士であり、戦功に応じて土地や金品を与えられる存在でした。しかし、江戸時代は戦争が少なく、彼らは実質的に公務員のような役割を担うことになりました。ただし、武士は権力者であったため、その仕事量は多くなく、城での勤務時間も少なく手分けして仕事を行いました。一方、商業や農業は大いに発展し、両替商などの豪商や、村々に存在した豪農が地域経済を支えました。織物や酒造り、林業といった産業も盛んに行われ、商業と農業の発展が地域の経済基盤を支えました。
このように、江戸時代の社会は、武力による権力と財力による権力の二重構造を持っていました。商家に勤めるにも工場の従業員にも「読み書きそろばん」は必要とされ、藩の改易によって浪人が増えた結果、彼らの一部は寺子屋を設立し、教育に尽力しました。これにより、国民の教育水準が向上しました。
明治時代に入ると、この高い教育水準と二重権力構造が新政府の形成と発展に非常に役立ちました。特に、渋沢栄一のような人物がその基盤の上で活動することで、明治時代の経済発展が促進されました。江戸時代から明治時代への移行は、社会の構造と人々の役割が大きく変化した時代であり、その変化は日本の近代化において重要な意味を持ちます。
内閣
行政の事務は切れ目なく必要です。幕藩体制が終わり、明治政府が作られた際も、事務処理がスムーズに移行する必要がありました、具体的にはどのように行われたのでしょうか。まず、歴代の首相について列挙します。
内閣総理大臣
代 | 就任 | |||||||
明治時代 (1868年 - 1912年) | ||||||||
1 | 伊藤博文 | 1885年12月22日 | 長州 | |||||
2 | 黑田清隆 | 1888年4月30日- | 薩摩 | |||||
- | 三條實美 | 1889年10月25日 | 公家 | |||||
3 | 山縣有朋 | 1889年12月24日 | 長州 | |||||
4 | 松方正義 | 1891年5月6日- | 薩摩 | |||||
5 | 伊藤博文 | 1892年8月8日- | 長州 | |||||
- | 黑田清隆 | (1896年8月31日 | 薩摩 | |||||
6 | 松方正義 | 1896年9月18日- | 薩摩 | |||||
7 | 伊藤博文 | 1898年1月12日- | 長州 | |||||
8 | 大隈重信 | 1898年6月30日- | 佐賀 | |||||
9 | 山縣有朋 | 1898年11月8日- | 長州 | |||||
10 | 伊藤博文 | 1900年10月19日 | 長州 | |||||
- | 西園寺公望 | 1901年5月10日- | 公家 | |||||
11 | 桂太郎 | 1901年6月2日- | 長州 | |||||
12 | 西園寺公望 | 1906年1月7日- | 公家 | |||||
13 | 桂太郎 | 1908年7月14日- | 長州 | |||||
14 | 西園寺公 | 1911年8月30日- | 公家 | |||||
大正時代 (1912年 - 1926年) | ||||||||
15 | 桂太郎 | 1912年12月21日 | 長州 | |||||
16 | 山本權兵 | 1913年2月20日- | 薩摩・海軍 | |||||
17 | 大隈重信 | 1914年4月16日- | 佐賀 | |||||
18 | 寺内正毅 | 1916年10月9日- | 陸軍 | |||||
19 | 原敬 | 1918年9月29日- | 盛岡 | |||||
- | 内田康哉 | 1921年11月4日- | 熊本藩医 | |||||
20 | 高橋是清 | 1921年11月13日 | 仙台足軽 | |||||
21 | 加藤友三郎 | 1922年6月12日- | 広島・海軍 | |||||
- | 内田康哉 | 1923年8月24日- | 熊本藩医 | |||||
22 | 山本權兵衛 | 1923年9月2日- | 薩摩・海軍 | |||||
23 | 清浦奎吾 | 1924年1月7日- | 熊本の寺 | |||||
24 | 加藤高明 | 1924年6月11日- | 尾張下級武士 | |||||
- | 若槻禮次 | 1926年1月28日- | 松江下級武士 | |||||
25 | 1926年1月30日- | |||||||
昭和時代 (1926年 - 1989年) | ||||||||
26 | 田中義一 | 1927年4月20日- | 陸軍 | |||||
27 | 濱口雄幸 | 1929年7月2日- | 官僚 | |||||
28 | 若槻禮次 | 1931年4月14日- | 松江下級武士 | |||||
29 | 犬養毅 | 1931年12月13日 | 吉備庄屋 | |||||
- | 高橋是清 | 1932年5月16日- | 仙台下級武士 | |||||
30 | 齋藤實さ | 1932年5月26日- | 海軍 | |||||
31 | 岡田啓介 | 1934年7月8日- | 海軍 | |||||
32 | 廣田弘毅 | 1936年3月9日- | 外交官 | |||||
33 | 林銑十郎 | 1937年2月2日- | 陸軍 | |||||
34 | 近衞文麿 | 1937年6月4日- | 公家 | |||||
35 | 平沼騏一郎 | 1939年1月5日- | 法学者 | |||||
36 | 阿部信行 | 1939年8月30日- | 陸軍 | |||||
37 | 米内光政 | 1940年1月16日- | 海軍 | |||||
38 | 近衞文麿 | 1940年7月22日- | 公家 | |||||
39 | 近衞文麿 | 1941年7月18日- | 公家 | |||||
40 | 東條英機 | 1941年10月18日 | 陸軍 | |||||
41 | 小磯國昭 | 1944年7月22日- | 陸軍 | |||||
42 | 鈴木貫太郎 | 1945年4月7日- | 海軍 |
公務員
明治政府は国家機関や地方自治の機関が必要であり、江戸幕府では長い平和が続き旗本や藩士は、兵士から、役人に変わっていきました。したがって、国家公務員の仕事をしていたのは旗本で、地方公務員の仕事は藩士が担っていました。県知事も最初は、その地域の大名が任命されました。兵士や警官には西南戦争で武士の集団が圧倒的に強いこともあり、主に士族が採用されました。戦前、役人や警官が威張っていたのは、こうした背景があります。
藩士の仕事
以前、武士であった藩士は、戦争がない時代が続き、公務員となりました。
また、参勤交代があり江戸詰めの藩士も必要ですが、これが現在の東京の山の手の元です。
最近では、アウトソーシングが一般的になり、役所の仕事が外部の企業や業者に委託されることが増えています。これにより、役人の数が減少し、労働条件の悪化が引き起こされているとも言われています。
知事
知藩事として、最初は藩主を指名しました。しかし、明治4年7月に制度が変更され、元藩主は華族となり、知藩事を失職しました。
おわりに
総理大臣は自由民権運動の闘士であった大隈重信までは、ほとんどが薩摩と長州の出身者が交互に務めていました。明治維新は、江戸幕府の政権を薩摩と長州が奪ったクーデターとも言えます。これは現代にも影響を与えています。江戸幕府の身分制度(士農工商)は廃止されましたが、統治機構の多くは江戸幕府のものが引き継がれました。廃仏毀釈によって日本の仏教は弱体化しようとしましたが、結果的には日本の宗教に変質をもたらしました。アニミズムを基にした神道を天照大神を中心とする一神教に改めたのは、西欧諸国が一神教であるキリスト教を基に国を統治しているのに対抗するためでした。神道は伝統を壊して作られたものですが、現在でも古来からの伝統であるかのように思っている人が多くいます。明治維新とは何かを考えることは大切だと思います。