ローマ帝国年表
はじめに
「ヨーロッパの文化的軌跡」と題したブログを書きましたが、特に現代ヨーロッパに直接的な影響を与えている古代ローマ帝国に焦点を当てて年表を作成しました。ユダヤ人の離散、キリスト教の禁止と国教化、公用語としてのラテン語、民主主義思想など、そのパラダイムは現代ヨーロッパの基礎を成しています。ローマ帝国はギリシャ文明の継承者であり、海と陸のシルクロードを通じて中国とも繋がっていました。ローマ帝国の皇帝カエサルとエジプト王朝最後の女王クレオパトラの逸話もあります。つまり、古代ローマ帝国はギリシャ文明や四大文明に影響を受け、それらを取り入れて発展したのです。
現代の欧米を考える際に、ローマ帝国の影響を避けて通ることはできません。
年表
下記年表は 古代ローマ / 年表 から流用しました。
ローマの歴史 | |
年 | 事項 |
BC8世紀 | |
BC 753 | 伝説上のローマ建国 |
BC6世紀 | |
BC 509 | 王政廃止、共和政樹立 |
BC5世紀 | |
BC 494 | 聖山事件(平民が蜂起し、護民官がおかれるようになる。) |
BC 450 | 十二表法の成立(最初の成文法) |
BC 445 | カヌレイウス法(貴族と平民の通婚が認められる) |
BC4世紀 | |
BC 396 | ウェイイを陥落させる |
BC 390 | ケルト人の来襲 |
BC 367 | リキニウス・セクスティウス法(執政官のうち1人を平民から選ぶことになる) |
BC 343 | 第1次サムニテウス戦争(~BC341) |
BC 340 | ラテン戦争(~BC338) |
BC 326 | 第2次サムニテウス戦争(~BC304) |
BC 318 | この頃クラウディウス法が成立(元老院議員とその子に300アンフォラ以上の大型船の所有を禁じる) |
BC 312 | アッピア街道の建設が始まる |
BC3世紀 | |
BC 298 | 第3次サムニテウス戦争(~BC290) |
BC 287 | ホルテンシウス法(平民会議決が元老院の承認無しに法律となることとなる) |
BC 280 | この頃、最初の銅貨、最初の銀貨が発行される。 それ以前は不定形の銅の固まり(Aes Rude)や、銅の延べ板(Aes Signatum)が使われていた |
BC 264 | 第1次ポエニ戦争起こる(~BC241) |
BC 227 |
シチリアを属州とする |
BC 218 | |
BC 216 | カンネーの戦いでハンニバルに大敗 |
BC 215 | 第1次マケドニア戦争(~BC205) |
BC 211 | 最初のデナリウス銀貨が発行される |
BC 202 | ザマの戦いで大スキピオがハンニバルを破る |
BC 201 | 第2次ポエニ戦争が終わり、ローマが西地中海の覇権を握る |
BC2世紀 | |
BC 200 | 第2次マケドニア戦争(~BC196) |
BC 171 | 第3次マケドニア戦争(~BC168)この戦争でローマの勢力が東地中海に広がる |
BC 153 | 新年の始まりがヤヌアリウス(現在のJanuary,1月)になる。それまではマルティウス(現在のMars,3月)から新年が始まっていた。この変更のため月の名前が2つずれてしまい、現在に至る。 |
BC 149 | 第3次ポエニ戦争(~BC146) 第4次マケドニア戦争(~BC148) |
BC 146 | カルタゴを滅ぼす(小スキピオ) マケドニアを属州とし、コリントを破壊する |
BC 133 | ティベリウス・グラックス護民官となり、土地問題の改革を目指すが元老院派に殺される |
BC 123 | ガイウス・グラックスが護民官となり、諸改革にのりだす |
BC 121 | ガイウス・グラックスが元老院派に襲われて自殺 |
BC 111 | ユグルタ戦争(~BC105) |
BC 107 | マリウスの軍制改革 |
BC1世紀 | |
BC 91 | 同盟市戦争始まる |
BC 88 | 同盟市戦争終わる、イタリア諸都市の自由民にローマ市民権を与える 第1次ミトリダテス戦争(~BC85) |
BC 83 | 第2次ミトリダテス戦争(~BC82) |
BC 82 | スラが終身独裁官になる(~BC79) このころから金貨が臨時的でなく発行されるようになる。(アウレウス金貨) |
BC 74 | 第3次ミトリダテス戦争(~BC63) |
BC 73 | スパルタクスの反乱(~BC71) |
BC 70 | ポンペイウス、クラッススが執政官になる |
BC 63 | キケロが執政官になる。カティリーナの陰謀。 |
BC 60 | 第1回三頭政治(ポンペイウス、カエサル、クラッスス) |
BC 58 | カエサルのガリア征服が始まる(~BC51) |
BC 49 | カエサル、ルビコン川を渡りローマに進軍 |
BC 48 | ファルサロスの戦いでカエサルがポンペイウスを破る カエサルが独裁官になる |
BC 46 | 季節と暦のずれを解消するため、この年に90日が加えられる。 |
BC 45 | この年から、1年を365日とし4年に一度閏日を加えることにした。(ユリウス暦) |
BC 44 | カエサルが終身独裁官になる。第5の月(Quintilis)がカエサルの氏族名にちなんでIuliusと変えられる。カエサルが暗殺される。 |
BC 43 | 第2回三頭政治(アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥス) |
BC 42 | フィリッピの戦い |
BC 31 | アクティウムの海戦でオクタウィアヌスがアントニウスを破る |
BC 30 | オクタウィアヌスがエジプトを征服 |
BC 27 | オクタウィアヌスがアウグストゥス(尊厳者)の称号を受ける 帝政の開始は普通このときからとされる |
BC 8 | 第6月(Sextilis)の名がアウグストゥスの称号にちなんで、 Augustusと変えられる。 |
AD1世紀 | |
AD 14 | アウグストゥス死去 ティベリウス 即位(~AD37) |
AD 37 | カリグラ 即位(~AD41) |
AD 41 | クラウディウス 即位(~AD54) |
AD 54 | ネロ 即位(~AD68) |
AD 64 | ローマの大火。ネロ帝がキリスト教徒を迫害。 |
AD 66 | ユダヤの反乱(~AD70) |
AD 68 | ガルバ 即位(~AD69) |
AD 69 | オト 即位(~AD69) ウィテリウス 即位(~AD69) ウェスパシアヌス 即位(~AD79) フラウィウス朝の始まり |
AD 79 | ヴェスピオ火山の噴火,ポンペイの埋没 ティトゥス 即位(~AD81) |
AD 81 | ドミティアヌス 即位(~AD96) |
AD 96 | ネルウァ 即位(~AD98) 五賢帝時代の始まり |
AD 98 | トラヤヌス 即位(~AD117) |
AD2世紀 | |
AD 117 | トラヤヌス帝がアルメニア、メソポタミアを併合し、ローマ帝国の版図が最大となる ハドリアヌス 即位(~AD138) |
AD 122 | ハドリアヌスの長城の建設 |
AD 138 | アントニヌス・ピウス 即位(~AD161) |
AD 161 | マルクス・アウレリウス 即位(~AD180) |
AD 180 | マルクス・アウレリウス帝死去(五賢帝時代の終わり) コンモドゥス 即位(~AD192) |
AD 193 | ペルティナクス 即位(~AD193) ディディウス・ユリアヌス 即位(~AD193) セプティミウス・セウェルス 即位(~AD211) セウェルス朝の始まり |
AD3世紀 | |
AD 211 | カラカラ 即位(~AD217) |
AD 212 | アントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える) |
AD 214 | カラカラ帝、最初のアントニニアヌス貨発行。 |
AD 217 | マクリヌス 即位(~AD218) |
AD 218 | エラガバルス 即位(~AD222) |
AD 222 | セウェルス・アレクサンデル 即位(~AD235) |
AD 235 | マクシミヌス・トラクス 即位(~AD238) 軍人皇帝時代の始まり |
AD 238 | ゴルディアヌス1世2世 即位(~AD238) バルビヌス、プピエヌス 即位(~AD238) ゴルディアヌス3世 即位(~AD244) |
AD 244 | フィリップス・アラプス 即位(~AD249) |
AD 249 | デキウス 即位(~AD251) |
AD 250 | デキウス帝によるキリスト教徒の迫害 |
AD 251 | トレボニアヌス・ガルス 即位(~AD253) |
AD 253 | アエミリアヌス 即位(~AD253) ウァレリアヌス 即位(~AD260) ガリエヌス 即位(~AD268) |
AD 260 | ウァレリアヌス帝がペルシャ王シャープール1世に捕らえられる ポストゥムス(ガリア皇帝) 即位(~AD268) |
AD 268 | ウィクトリヌス(ガリア皇帝) 即位(~AD270) クラウディウス2世 即位(~AD270) |
AD 270 | テトリクス1世(ガリア皇帝) 即位(~AD273) クィンティルス 即位(~AD270) アウレリアヌス 即位(~AD275) |
AD 275 | タキトゥス 即位(~AD276) |
AD 276 | フロリアヌス 即位(~AD276) プロブス 即位(~AD282) |
AD 282 | カルス 即位(~AD283) |
AD 283 | ヌメリアヌス 即位(~AD284) カリヌス 即位(~AD285) |
AD 284 | ディオクレティアヌス 即位(~AD305) |
AD 286 | マクシミアヌス 即位(~AD305) |
AD 293 | ディオクレティアヌスによる帝国の4分割統治 |
AD 294 | ディオクレティアヌス帝による大規模な貨幣制度改訂 |
AD4世紀 | |
AD 301 | ディオクレティアヌス帝の最高価格令 |
AD 303 | 最後のキリスト教大迫害が始まる |
AD 305 | コンスタンティウス1世 即位(~AD306) ガレリウス 即位(~AD311) |
AD 306 | セウェルス2世 即位(~AD307) マクセンティウス 即位(~AD312) コンスタンティヌス1世 即位(~AD337) フラウィウス朝の始まり |
AD 308 | リキニウス 即位(~AD324) |
AD 310 | このころソリドゥス金貨の発行が始まる マクシミヌス・ダヤ 即位(~AD313) |
AD 311 | ガレリウス帝の寛容令(キリスト教徒の迫害をやめる) |
AD 313 | ミラノの勅令(キリスト教徒にも信仰の自由を認める) |
AD 324 | |
AD 325 | ニカイア公会議(キリスト教の教義を統一) |
AD 330 | コンスタンティヌス大帝、都をビザンティウムに移し、コンスタンティノポリスと名を改める |
AD 337 | コンスタンティヌス2世 即位(~AD340) コンスタンス 即位(~AD350) コンスタンティウス2世 即位(~AD361) |
AD 360 | ユリアヌス 即位(~AD363) |
AD 363 | ヨウィアヌス 即位(~AD364) |
AD 364 | ウァレンティニアヌス1世 即位(~AD375) ウァレンス 即位(~AD378) |
AD 367 | グラティアヌス 即位(~AD383) |
AD 375 | ウァレンティニアヌス2世 即位(~AD392) |
AD 376 | 西ゴート族の移住(ゲルマン民族の大移動始まる) |
AD 378 | ハドリアノポリスの戦いでウァレンス帝が西ゴート族に破れる |
AD 379 | テオドシウス 即位(~AD395) |
AD 391 | テオドシウス大帝がキリスト教を国教化する |
AD 392 | エウゲニウス 即位(~AD394) |
AD 395 | テオドシウス帝死去、ローマ帝国の東西分裂 アルカディウス(東) 即位(~AD408) ホノリウス(西) 即位(~AD423) |
AD5世紀 | |
AD 408 | テオドシウス2世(東) 即位(~AD450) |
AD 410 | 西ゴート王アラリックのローマ占領 |
AD 425 | ウァレンティニアヌス3世(西) 即位(~AD455) |
AD 429 | テオドシウス法典の編纂(~438) |
AD 450 | マルキアヌス(東) 即位(~AD457) |
AD 452 | |
AD 455 | ヴァンダル族のローマ占領 ペトロニウス・マクシムス(西) 即位(~AD455) アウィトゥス(西) 即位(~AD456) |
AD 457 | マヨリアヌス(西) 即位(~AD461) レオ1世(東) 即位(~AD474) |
AD 461 | セウェルス3世(西) 即位(~AD465) |
AD 467 | アンテミウス(西) 即位(~AD472) |
AD 472 | オリブリウス(西) 即位(~AD472) |
AD 473 | グリケリウス(西) 即位(~AD474) |
AD 474 | ユリウス・ネポス(西) 即位(~AD475) ゼノン1世(東) 即位(~AD491) |
AD 475 | ロムルス・アウグストゥルス(最後の西ローマ皇帝) 即位(~AD476) |
AD 476 | 西ローマ帝国の滅亡 |
AD 480 | ユリウス・ネポス殺害(西の皇統断絶) |
AD6世紀以降 | |
AD 527 | ユスティニアヌスが東ローマ皇帝に即位 |
AD 529 | ローマ法大全の編纂(~533) |
AD 1453 | 東ローマ帝国の滅亡 |
AD 1519 | この頃、マキャベリの「ローマ史論」が完成 |
AD 1734 | モンテスキューの「ローマ人盛衰原因論」出版 |
AD 1788 | ギボンの「ローマ帝国衰亡史」が完成 |
さいごに
ローマ帝国は地中海周辺を領土としました。現在のヨーロッパはドイツ、イギリス、フランス、イタリアが中心ですが、大航海時代以前は地中海を中心にしてローマ帝国がアフリカや中近東にまで及んでいました。多様な文化を受け入れ尊重したことで、広い領土を長く維持することができました。実際に彼らが建造したものを見ると、その影響力がわかります。この頃には、人種差別はあまりなかったように思います。
西ローマ帝国滅亡後、東ローマ帝国はコンスタンティノープルを首都としましたが、現在はイスタンブールとしてトルコ共和国の都市になっています。コンスタンティノープルを東方との交易の拠点とし、「新ローマ」とも呼ばれることから、「世界の道はローマに通じる」と言う言葉が指すローマはコンスタンティノープルを指しているのかもしれません。東ローマ帝国は約1000年続きました。