はじめに
「古事記」は、多様な解釈が可能な奥深い物語です。物語は日本神話から始まり、天皇の話へと展開していきます。これは史実ではありませんが、史実が含まれている可能性もあります。どの部分が史実であり、誰がどういった理由で書いたのかは、大きな研究テーマとなっています。
日本神話では神様を天津神と国津神の2種類に分けます。非常に奇妙ですが、国津神を地元の首領、天津神を朝鮮半島の首領と考えることが出来ます。これは二重構造モデル(多重構造モデル)と矛盾しません。
ですから、日本神話は、渡来人が朝鮮半島からやってきて、日本の主要部分を征服していった話と捉えることができます。
国譲りの物語は、その過程で、出雲政権をたおすのは非常に難しかったからでしょう。それだけ出雲の部族は強大であったという事です。
天津神・国津神
渡来人が日本各地を統治していった過程を表しているのでしょう。多くの困難を経て、事代主神(コトシロヌシノカミ)や建御名方神(タケミナカタノカミ)を屈服させ、大国主が降伏し、日本が形成されました。この背景には、出雲に強力な政権があり、広範囲を治めていた可能性が考えられます。つまり、それまでの縄文人中心の政権に代わり、半島から渡来した人々が弥生人の政権を築いたということです。これらの行動は天照大神と相談の上で行われたとされており、命令を下したのは半島にいた首領であったと考えられます。
八百万の神々
神を数える際には「一柱・二柱」と表現し、「一人・二人」とは数えません。これは古来、柱に偉大な力が宿ると信じられていたためかもしれません。この習慣は、縄文文化の影響を受けたものかもしれません。柱を通じて神聖な力が地上に降りてくると考えられていたのです。この考え方は、すべての物に神が宿るとされるアニミズムの影響を強く受けていると考えられます。また、「八百万」とは、無数に多くのという意味を表しています。
高い山の大きな木には雷が落ちやすい。山岳信仰の発祥にこうしたことも、関係し散るかも知れません。ululu=エアーズロック(Ayers Rock)はオーストラリア原住民(Aboriginal Australians)の聖地です。ヒマラヤ山脈の多くの山も現地では聖地です。山岳信仰は世界各地にあります。
注連縄を見ていると、横にある藁で作った縄は雲を表し、縦に垂れる紙垂は雨と雷を象徴しているように感じられます。雷は雨の少ない夏に雷雨とともにやってきて、大量の雨をもたらすため、恐ろしい存在でありながらも、稲作が盛んになった弥生時代には特にありがたいものとして崇められたのではないかと想像できます。
『古事記』あらすじ – 國學院大學 古典文化学事業 (kokugakuin.ac.jp)
式年遷宮 お木曳
イザナギ・イザナミ神話は、「死」の概念を初めて認識した物語と捉えられます。死と生の概念を理解するには非常に高度な推論が必要です。フランケンシュタインの物語も、この難しさに根ざしていると言えるでしょう。
このような話が2000年以上も前に存在していたことは驚きですが、怪談話の幽霊が示すように、当時の「死」の概念はまだはっきりとしたものではなかったようです。同様の神話や物語は世界中に多く存在しています。
【神話学】世界中の神話に多くの共通点 があるのはなぜなのか? | MP (mythpedia.jp)
日本神話のあらすじを分かりやすく解説 - 歴史の史実研究所 (rekishi-shizitsu.jp)
イザナギとイザナミの物語、国生み・神生み、黄泉比良坂の決別まで - waqwaq (waqwaq-j.com)
おわりに
『古事記』は、多くの視点から解釈できる奥深い書物であり、多くの人々が研究対象としています。個人的な意見を持つことは自由ですが、それを他人に押し付けたり、他人の見解を否定することは避けるべきです。『古事記』はその多様性ゆえに、多様な捉え方が可能であることが、その魅力の一つと言えるでしょう。