考え方

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日本における銀行の歴史

銀行の歴史

 

はじめに

金利が付かない時代が続いていましたが、円安で物価が高騰し、株価も日経平均は40,109.23(24/03/04)で終わっています。

35年ほど前では、日経平均株価に含まれる銘柄や、日本円以外の為替相場も大きく違います。また、配当金も考慮されていませんから、「バブル以来の最高値更新」はあまり意味を持ちません。ただ、23年5月以降の日経平均の上昇には驚きます。

中国経済の減退と円安により、外国人投資家が日本株を買っている為と言われています。

バブル経済の崩壊(1990)により、銀行を含む多くの企業が倒産しまた。1996-2001年に金融緩和が行われ、それ以降、銀行業界は大きく再編されています。銀行の受付窓口で、株式・ファンド・生命保険などが勧められる とともに ネット銀行が設立されました。

銀行は私たち庶民にとって日常的に振込などする身近な存在です。また、住宅ローンなど、公的なサービスも提供されています。そこで、現在の銀行の移り変わりを江戸時代から調査しました。

 

     日本国債金利を基に預金利息が決まります。

国債金利の推移

 

江戸時代

 

江戸時代の金融システムは、東西の経済圏における貨幣制度の違いや、信用システムの重要性が、特徴的です。

  1. 東西の経済圏と三貨制度: 江戸時代の日本では、「大坂の 銀 遣い、江戸の 金 遣い」と言われ、東西の経済圏で利用される貨幣が異なりました。大坂経済圏では銀が、江戸経済圏では金が主に使用され、庶民の間では銭=銅が使用されました。これを三貨制度と呼びます。

  2. 両替商の重要性: 両替商は、大坂と江戸を結ぶ経済活動の中心的な役割を果たしました。大坂の蔵屋敷では、米の換金や物資の購入、そして江戸への物流が行われ、そこで両替商が活躍しました。彼らは、金貨や銀貨の両替を行い、東西間の貨幣の流通を支えました。

  3. 信用システムの発展: 貨幣を船で輸送することはリスクが高く、重い貨幣を運ぶことも困難でした。そのため、両替商は信用システムを発展させ、帳簿上で貨幣の移動を行いました。指図は、手形などの金融商品を使って行われ、これが当時のキャッシュレス決済システムの一形態と言えます。

両替商 - Wikipedia

 

明治時代


明治時代の金融制度

明治時代の銀行の成立は、近代日本の金融制度の基盤を築く重要な一歩でした。国家の経済政策と、すでに富と信用を得ていた豪商の金融システムを明治政府が銀行に統一しました。利害が複雑に絡み合った困難な作業でしたが、この調整を担ったのが渋沢栄一です。そして、西欧的な株式制度を根付かせました。



貨幣制度改革



近代国家の構築を目指した明治政府は、貨幣制度の改革も進めました。明治4年に新貨条例が制定され、貨幣単位が「両・分・朱」から「円・銭・厘」に変更されました。



日本銀行の設立



大蔵卿に就任した松方正義は、中央銀行の設立を主張し、日本銀行の誕生に繋がりました。日本銀行は1882年に開業し、最初の日本銀行券が発行されました。これにより、「国立銀行」の名が付いた民間銀行から紙幣発行権が移されました。



国立銀行」との関係

明治時代には江戸時代からの豪商である三井・住友・安田家などが「国立銀行」と呼ばれる民間銀行を設立し、お札を発行していました。一方、岩崎弥太郎は明治政府の政商として三菱財閥を作り、三菱銀行の前身である三菱為換店を設立しました。

戦前

戦前は、東京を本店とする第一銀行、三井銀行三菱銀行住友銀行安田銀行の5大銀行が中心でした。そこに、大阪の3つの銀行が合併して三和銀行が誕生し、6大銀行となりました。これらの銀行は財閥の中核であり、政治にも強い権限を持っていました。

【五大銀行とは】わかりやすく解説!!昭和恐慌を乗り越え、戦前日本の経済を牛耳る! | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト (nihonsi-jiten.com)

三和銀行 - Wikipedia

戦後

敗戦でアメリカ軍に占領された日本は、戦前に政治力が非常に強かった財閥を解体しました。

その中核であった銀行は大蔵省が管理し、戦後の高度経済成長を支えました。大蔵省の管理下では、金融機関に対する力が大きくなりました。MOF担 - Wikipedia

1985年までは、主要企業への貸し出しが、全銀行貸し出しのほぼ半分でした。主要企業は株式を市場に流し、銀行が株価を支えるようになりました。

バブル経済は株式と土地不動産によって引き起こされました。

銀行は上場企業の株であれば株価の50%、不動産であれば実勢価格の80%を担保評価します。株価や不動産価格が上がれば担保評価額も上がります。増えた分を借りて、株式や不動産を買います。さらに株や不動産の価格は上がります。これを繰り返すことで、バブル経済となりました。(当時、事業をやっていた私に、銀行の担当者から株や不動産の購入を勧められました。彼らは「融資はしますから」とよく言いました。)

平成元年以降、バブル経済の崩壊や金融ビッグバンを経て、銀行持ち株会社の解禁、銀行同士の合併、グループの再編、そして異業種の参入など、金融界に大きな変化が相次ぎました。

平成元年以降の銀行の変遷については、以下の「銀行の提携・合併リスト」をご確認ください。

バブル経済の崩壊で、株価が1/5に下げました。資産数が百億・数千億の人々が自己破産や夜逃げしました。中には国会の証人喚問に呼ばれた人もいました。これにより、株式に対する恐怖心が生まれました

 

 



 

 

 

さいごに


銀行は金融システムの要である。金融システムが揺れば、ますます不況になることは、バブル経済破綻で経験しました。

今までの銀行の経緯を見てきましたが、どのように思いますか。三菱UFJ銀行三井住友銀行は支店数を大幅に減らしています。ネット取引が日常化し、ネット専業の銀行などが取引額を増やしている現在、今までのしがらみをどれだけ断ち切れるかに命運がかかっています。

私は決まっていた融資を銀行が合併した途端に融資ができないと言われました。信金からの融資で、乗り越えました。指導していたのは財務省です。財務省にとって銀行の顧客は守る存在ではありません。

顧客に寄り添う金融機関になってほしいと思います。

 

日本は円安で今年はドイツに抜かれ世界4位となりましたが、それまでは3位、2009年までは2位でした。英語が不得手な日本人が多いのも、就職に英語が不得手でもあまり困らなかったからです。

色々な話も国内のことに結び付けますが、グローバルの時代です。敵は世界です。これが、日本経済がダメになった一つの原因だと思います。

銀行のDX化に伴う店舗改革と、ファシリティマネジメントのニーズ拡大 – KANAEアソシエイツ (kanae-associates.com)



過去10年の行員の給与推移が出ていました。

行員賃金