はじめに
池上彰氏が、バブル景気についての記事を書いていましたが、私と彼は同学年でした。
彼は、なぜバブルが膨らみ、「ドル安」を実現できたのかについて解説しています。高級ブランドや高級車が飛ぶように売れ、日本が史上空前の豊かな国になった背景を説明しています。
伊勢湾台風、バブル景気、東日本大震災は、深く記憶に残る出来事であり、時代の区切りです。
詳細な情報は こちらの記事 で読むことができます。
バブル景気は1985年のプラザ合意で始まり、1991年年初に株価が暴落したのが、崩壊の始まりでしたが、1992年頃までは余韻が残っていました。その頃は、個人事業主でしたので、週に1回銀行の担当者が集金に訪れました。彼らはよく「融資を受けて、株や土地を購入しませんか?」と提案してきました。確かに、その頃受けていた融資の担保となっている土地の評価額は急速に上昇していました。時価の6割ほどの担保が設定できましたが、負債の差を融資すると言うわけです。融資されたお金で、土地を買えば地価が上がり評価額が上がります。当然、買った土地も担保になります、融資額は達磨のように膨らみます。この繰り返しで、際限なく地価は上がりました。評価額は利用価値を基準にしていません。評価額が風船のように膨らむのが、「バブル」と命名した一因だと思います。バブル経済は借金の爆増でした。そして、担保とした金融資産や不動産の評価は幻想であることに、バブル景気が終わってから気づきました。
実態がないので、逆回転も速かったです。
現在でも抜け出せないでいる不況の原因を探るために、バブル景気の経緯を述べたいと思います。
実際
発端はプラザ合意と言われていますが、その素地は日本国内で作られていきました。
1985年6月に発生した2つの殺害や逮捕事件が、バブル景気の始まりであったと言われています。これらの事件の首謀者は、互いに関係が深いとされています。彼らの人脈を含めて、現在も解決されていない特殊詐欺事件との関連性も指摘されています。
バブル期は1985年から1991年までであり、異常な時代でした。40歳以下の世代には理解しにくいかもしれませんが、この時期には商品や資産が異常な高値で取引されていました。金銭感覚は現在とは大きく異なっていました。
建築や土木に携わる職人(被雇用者)は、労働時間は自分で操作できるので、年収は千万以上でした。シーマやセルシオに乗っている20歳代も職人もいました。
シーマはバブル崩壊で売れ行きが不振となり製造が中止されました。
「セルシオ」が「レクサス」ブランドに生まれ変わった背景には、バブル崩壊後の経済状況と社会の変化が大きく影響しました。バブル経済崩壊により、トヨタは高級ブランドとして「レクサス」を立ち上げる必要性に迫られました。これにより、格差社会が進行する中で新たな市場を開拓することを目指しました。
「セルシオ」が成功した要因の一つは、そのソフトウェア技術の優秀さでした。当時、日産は技術力でトヨタに対抗しており、クラウンに対してセドリック、カローラに対してサニーなどの競合車種を持ち、熾烈な競争を繰り広げていました。しかし、現在ではトヨタと日産の間に大きな差が生まれています。この差の原因の一つとして、ソフトウェア技術への注力の違いが考えられます。トヨタはソフトウェア技術の開発に積極的に投資し、車両の性能や安全性、快適性を向上させることで、競争力を高めました。これにより、トヨタは日産に対して優位に立つことができたと言えるでしょう。
深夜12時に深夜12時に多くの店が閉店したので、11時半からの2時間はタクシーを捕まえるのが難しくなりました。予約がない限りタクシーが捕まりにくく、1万円札をタクシーに投入したりしました。支払いの際に釣銭をもらわないことが普通でした。
確かに、当時は今ほど高価な株式はほとんど存在しませんでした。現在でも、対面式の証券会社とネット証券との間で手数料に顕著な違いがあります。この差により、旧来の証券会社が存続し続けることができるのは、ネットに不慣れで、何十億も株式運用している高齢者が残っるからでしょう。
しかし、今や金融機関は使い易く、セキュリティーの優れたアプリケーションが必要で、銀行の強さはそのアプリで大きく左右されるでしょう。
年台 | 平均値 | 中央値 |
20 | 165万円 | 71万円 |
30 | 529万円 | 240万円 |
40 | 694万円 | 365万円 |
50 | 1,194万円 | 600万円 |
60 | 1,635万円 | 650万円 |
70以上 | 1,314万円 | 460万円 |
昭和30年以降、日本の地価は右肩上がりで上昇していました。国土の面積が一定であるため地価は下落しないと考えられていました。しかし、最近では土地の価格はその利用価値に応じて決まるようになっています。
田中首相の「日本列島改造論」の影響かもしれませんが、過去には、鉄道などのインフラが存在しない山間部でも高額で取引されていた時期がありました。これは、日本の経済成長期において、土地が資産価値の高いものと見なされ、地価が常に上昇するという認識が広く共有されていたためです。しかし、バブル崩壊後の経済状況の変化や、都市部と地方の経済格差の拡大などにより、土地の価値はその利用価値や立地条件に依存するようになりました。結果として、インフラが整備されていない地域や需要の少ない地域の地価は下落し、利用価値の高い地域との格差が生まれました。
岸田政権は資産を増やす計画を採用していますが、日本人の投資に対する慎重さや警戒心は、バブル崩壊の記憶にあると考えられます。バブル崩壊時に多くの人々が大きな損失を被り、それ以降もリスクを避ける傾向が強まったため、日本人の投資意欲が低くなったと思います。さらに、証券会社が個人投資家を重要視しなかったことも影響しています。
証券会社が個人投資家に対してリスクを最小限に抑える仕組みや情報提供を整備することが、投資への信頼を回復させる一環として望まれます。政府が証券会社への規制や監督を強化し、個人投資家を保護する政策を実施することで、市場の安定性と投資環境の改善が期待されます。
総括的に言えば、政府の資産増加計画は証券会社に資金を注ぐことではなく、むしろ個人投資家をサポートし、彼らが資産を増やす手助けをする方向に進むことが重要だと思います。
バブル景気では、「マハラジャ」「デイトナ」など大型のディスコではお立ち台が作られ、若い女性が踊っていました。大衆演劇では1万円札を花に見立てた御捻りが使われました。
後遺症
料亭の女将が口先だけで2兆7700億円もの借金をできる時代でした。1千億円以上の債務を返済できなくなるケースが多数発生し、金融機関の倒産に至りました。
都会では地価が現在の5倍以上になり、投機の対象でした。そして、大蔵省が土地の購入資金を抑えようとした政策がバブル崩壊のきっかけになりました。貸し出しを抑えるには大蔵省から、各銀行に電話をするだけで済みますが、行政には予算があり、その年度の政策は決まっています。次年度も政策を変えるのは大変です。バブルが崩壊しても、行政は依然としてバブル経済の影響を受けていました。その後の政権は現状を把握し、予算を削減しましたが、これに反発して安倍政権はアベノミクスを具現化しました。
その後の30年以上の不況は、バブル経済の崩壊と東日本大震災が原因となり、日本経済は、衰退する事となりました。
まとめ
企業は倒産しないようにするために経費削減を行いました。タクシー券などは使用が制限されました。非常勤やアウトソーシングで人件費を削減しました。経済政策には新自由主義が採用され、多くの公的企業の民営化が起きました。非正規労働者が増えた原因であり、大型スーパーと外食チェーン店が増えました。大型スーパーと外食チェーン店では、正規の社員は非常に少なくなっています。多くの企業では正規社員は管理業務が主で、その下では非正規の技術者が、日本の企業の標準となりました。バブル景気の反省から、日本政府と金融当局は規制や監督の強化を行い、リスク管理を改善しました。
現在、肌感覚としてバブル景気を感じる人が少なくなっています。また、一部の経済評論家は、物価高の意味で「バブル」と物価高のような意味で使います。しかし、1990年までのバブル景気の意味ではありません。ユーチューバーやメディアではバブル景気を解かっていないと思う記事も多いように感じます。これは、バブル経済の総括が出来ていないためだと思います。バブル経済と崩壊から、私たちは何を学ぶかです。
日本人は貯金が好きで投資に後ろ向きと言われますが、バブル景気のせいだと思います。私の多くの株式・不動産投資をしてい多くの知人が、夜逃げをしました。法人は学校も含めて、投資で失敗した所も多くあります。投資をしないことは時代遅れだと言われ、誰もが投資に走った時代です。ここをもう少し分析し、日本人を投資拒否症の対策をすべきだと思います。
バブルの借金は税金・社会保険料と言う形で一般国民が返しています。
シンガポールをはじめ海外に移住した超富裕層も多くいます。
池上彰 「小泉・竹中路線」の理論、“新自由主義”とは? | 日経BOOKプラス
おわりに
バブル景気の時代は、多くの人々が将来への夢や希望を抱いていた時代でした。その中でも特に土地の価格は急騰し、多くの人々が「土地は限られているため、その価値は絶対に下がらない」と信じて土地を買い漁りました。しかし、バブルが崩壊したことで、地価は実際にはその土地が生み出す価値に基づくべきであることが明らかになり、多くの人々が幻想から目を覚ますことになりました。
現在の都市部の空き家の増加と、郊外での宅地造成や住宅建設の進行という現象は、ある意味でバブルの教訓が十分に生かされていないと感じられる部分があります。これにはいくつかの要因が考えられます。
- 人口動態の変化: 少子高齢化や都市集中化の進行により、都市部では空き家が増える一方で、郊外では新たな住宅の需要が生まれています。
- 経済政策と税制: 土地や住宅に対する税制が、必ずしも市場の実情に即したものになっていないことがあります。例えば、相続税や固定資産税の問題などが挙げられます。
- 開発政策: 地方自治体や国の開発政策が、需要と供給のバランスを取ることよりも、新たな開発を促進することに重点を置いていることがあるかもしれません。
これらの課題に対処するためには、以下のような施策が考えられます。
- 空き家対策の強化: 空き家を有効活用するための支援策を強化し、都市部の住環境を改善する。
- 税制改革: 土地や住宅に対する税制を見直し、持続可能な開発を促進するためのインセンティブを提供する。
- 都市計画の見直し: 都市と郊外のバランスを考慮した開発計画を立案し、持続可能なコミュニティの形成を目指す。
- 公共交通の整備: 郊外での生活がより便利になるような公共交通機関の整備を進め、都市部への一極集中を緩和する。
これらの施策を通じて、バブルの教訓を活かしつつ、持続可能な社会の実現に向けた取り組みが必要です。