考え方

新しい考え方を提案する事を中心に

バブル景気

 

 

日本のバブル景気

 

はじめに

池上彰氏は、バブル景気についての記事を書いていましたが、私と彼は同学年でした。

彼は、なぜバブルが膨らみ、「ドル安」を実現できたのかについて解説しています。高級ブランドや高級車が飛ぶように売れ、日本が史上空前の豊かな国になった背景を説明しています。

私は名古屋生まれです。伊勢湾台風、バブル景気、東日本大震災は、深く記憶に残る出来事であり、時代の区切りとして使っています。

詳細な情報は こちらの記事 で読むことができます。

実際

発端はプラザ合意と言われていますが、その素地は日本国内で作られていきました。

 

 

 

1985年6月に発生した2つの殺害や逮捕事件が、バブル景気の始まりであったと言われています。これらの事件の首謀者は、互いに関係が深いとされています。彼らの人脈を含めて、現在も解決されていない特殊詐欺事件との関連性も指摘されています。

バブル期は1985年から1991年までであり、非常に異常な時代でした。40歳以下の世代には理解しにくいかもしれませんが、この時期には商品や資産が異常な高値で取引されていました。金銭感覚は現在とは大きく異なっていました。

シーマはバブル崩壊で売れ行きが不振となり製造が中止されました。

セルシオはその後、「レクサス」ブランドに生まれ変わり、その名を受け継ぐことになりました。しかし、バブル崩壊の影響でトヨタは「レクサス」ブランドを立ち上げざるを得なくなったと言われています。当時から格差社会が広がっており、「セルシオ」がよく売れたのは、そのソフトウェア技術も大きな要因でした。日産は技術力でトヨタより優れていると思われていました。現在、トヨタと日産の間に大きな差があると感じられますが、その原因の一つはソフトウェア技術への力の入れ方の差にあると考えられています。

 

 

夜遅くにはタクシーを捕まえるのが難しくなりました。多くの店が深夜12時に閉店するため、午後11時ごろから2時間ほどは、予約がない限りタクシーに乗ることが難しかったです。その時間帯では、1万円札をタクシーに投入して捕まえることが珍しくありませんでした。支払いの際には、釣銭をもらわないことが普通でした。

多くの人々は深夜2時までスナックなどで、時間を過ごすことが一般的でした。『億』という金額に驚く人はほとんどいませんでした。府中市の3億円事件は1968年(昭和43年)12月10日に発生し、それから20年が経っていました。
現在は銀行預金に金利が殆ど付きませんが、当時は国が金利を決めており、どこの銀行でも1年定期預金の金利は5.57%でした。銀行の窓口では、少額の残高でも「定期に切り替えませんか?」とよく勧められ、定期預金に切り替えると、かなりの景品がもらえました。
10年国債 金利推移
今のようにネットが一般的ではなかったため、ネットでの金融取引機関は存在しませんでした。株式売買の手数料は固定制で、どの証券会社も同じで、100万円以上の取引で1万円以上だったと思います。現在のSBI証券楽天証券なら、税込みで535円で取引が可能です。また、現在は取引単位が通常100株ですが、当時は1000株でした。額面5万円が正しい言い方で、ほとんどの株は1株50円でした。

 

 

確かに、当時は今ほど高価な株式はほとんど存在しませんでした。現在でも、対面式の証券会社とネット証券との間で手数料に顕著な違いがあります。この差により、旧来の証券会社が存続し続けることができます。特に高齢者の中には、ネットに不慣れなことが一因で、対面式の証券会社を利用することがあります。これにより、証券会社の人件費が賄うだけの収益を確保できています。ただし、これが信頼性を損なう一因となっているかもしれません。

 

年台 平均値 中央値
20 165万円 71万円
30 529万円 240万円
40 694万円 365万円
50 1,194万円 600万円
60 1,635万円 650万円
70以上 1,314万円 460万円

 

当時、私は個人事業主であり、週に1回銀行の担当者が集金に訪れました。彼らはよく「融資を受けて、株や土地を購入しませんか?」と提案してきました。確かに、提供している土地や株式の評価額は急速に上昇していました。国土の面積は一定であるため、地価は下落しないと考えられていました。最近では、土地の価格はその利用価値に応じて決まりますが、過去には鉄道などのインフラが存在しない山間部でも高額で取引されていました。

岸田政権は資産を増やす計画を採用していますが、日本人の投資に対する慎重さや警戒心は、バブル崩壊の記憶からくるものであると考えられます。バブル崩壊時に多くの人々が大きな損失を被り、それ以降もリスクを避ける傾向が強まったため、日本人の投資意欲が低くなったと思います。さらに、証券会社が個人投資家を重要視しなかったことも影響しています。

証券会社が個人投資家に対してリスクを最小限に抑える仕組みや情報提供を整備することが、投資への信頼を回復させる一環として望まれます。政府が証券会社への規制や監督を強化し、個人投資家を保護する政策を実施することで、市場の安定性と投資環境の改善が期待されます。

総括的に言えば、政府の資産増加計画は証券会社に資金を注ぐことではなく、むしろ個人投資家をサポートし、彼らが資産を増やす手助けをする方向に進むことが重要だと思います。

バブル景気では、「マハラジャ」「デイトナ」など大型のディスコではお立ち台が作られ、若い女性が踊っていました。大衆演劇では1万円札を花に見立てた御捻りが使われました。

 

後遺症

バブル景気の終焉に伴い、多くの金融機関が倒産し、再編が行われました。この過程は金融業界における大きな変革であり、超低金利、支店の統廃合、銀行で保険や金融商品を販売するなど、金融機関の合併や業態の変化が起き、現在もその影響が続いています。

この変革に対して、顧客を無視していると感じる人も多いかもしれません。これは、金融機関が自らの利益や業績向上を優先して、顧客のニーズやサービスに対する配慮が不十分であると感じることから生じる意見です。金融業界の変化が、一部の顧客にとっては不便や不満を生むこともありますが、業界全体の安定や競争力強化を目指す観点からは必要な変化とされることもあります。

料亭の女将が口先だけで2兆7700億円もの借金をできる時代でした。1千億円以上の債務を返済できなくなるケースが多数発生し、金融機関の倒産に至りました。

その後の30年以上の不況と東日本大震災が日本衰退の原因となっています。

まとめ

 

バブル景気の反省から、日本政府と金融当局は規制や監督の強化を行い、リスク管理を改善しました。しかし、肌感覚としてバブル景気を感じる人が少なくなっています。ユーチューバーやメディアではバブル景気を解かっていないと思う記事も多いように感じます。

最近、元財務官僚の高橋氏が「バブル経済はいい時代だったし、それが世界の常識なのに、抑えようと財政政策を間違えた。」と言っています。

彼は財務官僚であったので、なぜこの30年以上の間、好況にできなかったのでしょうか。