考え方

あるの視点から

リハビリと共に歩む日々:失ったものと得られたもの

はじめに

2017年2月、66歳だった私は、突然の脳出血で入院しました。それまで元気だった私には、まさに青天の霹靂でした。脳出血の部位は小脳で、現在も右半身麻痺と複視が残っています。2024年7月現在、私は73歳の男性です。施設でリハビリに通っていますが、時間はたっぷりありますので、思ったことをブログに綴っています。今回は、リハビリなどで思ったこと、感じたことを書いてみました。

 

失ったもの

脳出血によって、私は多くのものを失いました。健康面では、週に2回のプール、週2回の速歩、市民マラソンへの参加など、アクティブな生活を送っていた私は、歩行すらままならない身体になってしまいました。自立面では、脳出血直後は5年間もの間、介護が必要な生活でした。現在も、日常生活の多くに介助が必要です。将来への希望についても、脳出血によって将来への不安が募りました。

 

気づいたこと

失ったものやできなくなったことは多かったですが、同時に多くのことに気づきました。

他者の支援の大切さについて、自分が困っている時に周りの人々が温かく支えてくれたことに深く感謝しています。自身の限界と可能性を理解し、それに適応する方法を見つける一方で、新しい可能性や才能を発見することもできました。

日常生活の中でどのようにして困難を克服するかを考え、工夫する力がつきました。同じ経験を持つ人々とのつながりが深まり、共感や支え合いの関係が築かれました。自己受容と自己肯定感が強まり、自分を受け入れ、ありのままの自分を肯定する力が育まれました。

社会のバリアについても、バリアフリーの重要性や、社会の中での障害者への理解と配慮の必要性を実感しました。自分のペースで生活することの重要性に気づき、無理をせずに生きることを学びました。困難を乗り越えることで精神的に強くなり、成長することができました。

また、頭頂部に頭髪がないことで、日焼けや暑さ対策が必要になりました。わずかな触感で物があることがわかるという感覚器としての役割も失いました。歩くことの仕組みについては、重心を移し、倒れないように足を出すことの連続であることに気づきました。左右同じように行うことでリズムが生まれ、大脳ではなく小脳が司令塔となることも理解しました。

 

現在のリハビリ

デイケアには週2回、デイサービスには週1回、午後のリハビリに通っています。デイサービスは隣の市にあり、送迎車のコースにはなっていないため、配偶者に車で連れて行ってもらいますが、デイケアは送迎付きです。それぞれの施設には12~18人程度の利用者がいます。デイケアには複数の看護師が常駐し、医師も見回りに来ます。

デイケアのスタッフ全員が公的な資格を持ち、事務員などを含めると20人以上が在籍しています。スタッフそれぞれに休暇や担当部署があるため、全員がそろうことはありません。デイケアでは15分間の理学療法士作業療法士の個別指導があり、25分の集団体操と有酸素運動マシン、5分×3回の無酸素運動マシン、ホットリズミー・ホットパック・電気刺激などの受動的なプログラムが用意されています。

リハビリは麻痺側中心ですが、健側の動きは、いい参照になります。

集団体操や個別指導の予定は決まっているので、空いた時間は自由にマシンを使うことができます。各利用者には担当の療法士が決まっており、その場にいれば個別指導を行います。マシンの全体メニューも療法士が決めています。病院や訪問介護、短時間の通所リハビリなどと総合的に行っているため、採算も取れると思います。

私が通っているデイサービスはリハビリ特化型で、認知機能が分かる人はいません。スタッフは全員で7人おり、そのうち4人が国家資格を持っています。ほとんどの日に全員が揃います。最初に全員で集団体操を行い、その後3グループに分かれて集団運動、無酸素マシン、有酸素運動マシンを行います。マシンはデイケアに似ています。いずれも3時間45分の半日型です。

おわりに

リハビリはじめ生活全体を支えコーディネートしている配偶者の為に生きていられることを実感します。さらに多くの友人も支えてくれています。今は、週3回半日のリハビリに通っています。そこでも多くの仲間と出会い、支えられています。

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社会資本 - Wikipedia

また、脳トレとして2年前から株式投資も行っています。

このブログを通して、障害者に対する理解が深まれば幸いです。